結婚して幻滅の悲哀を感ずるとは、よく聞くところであるが、結婚のみならず人生は
総て幻滅の連続であらうと思ふ。
が、書物には限らず、
総てのものが皆絶対に善いものも無い代りに絶対に悪いものも無い。
総ての大夫は「翁」を心から神聖視して「天下泰平、国土安穏」の祈祷として勤めたから、その見識もまた大層なものであつた。
之等の一見、つまらなく見える話を、鉱物学だとか、地文学だとか云ふ見地から、
総て解決し、説明し得たりと思つて居ると大変な間違ひであります。
箱根山を千成瓢箪の馬印が越せば、
総て解決されるのである。
それと同じ様に、自分の周囲の
総ての関係が、亦時として何の脈絡も無い、唯浅猿しく厭はしい姿に見える。
此果断と云ひ抗抵と云ひ、
総て前提の「物ふるれば縮みて避けんとす我心は臆病なり云々」の文字と相撞着して并行する能はざる者なり。
春から秋へかけては
総ての漁猟の季節であるから、猶更左様いう東京からは東北の地方のものが来て働いて居る。
おまえさんたち」と小そのは
総てを語ったのちにいう、「何人男を代えてもつづまるところ、たった一人の男を求めているに過ぎないのだね。