何ひとつ運び出すひまもなく類焼の災にあってしまったのであるが、苦心して描いた
縮図や絵の参考品も失ってしまった時には、さすがの私も呆然としてしまった。
文学の方でも秋声先生の
縮図などを枯淡の風格とくる。
枯淡の風格、秋声の「
縮図」の如き、作文技法の典型以外に意味はない。
だから私の写生帖にも一緒くたに
縮図と写生が埓もなく描込んである。
しかし「
縮図」に対決するには、もうこの一手しかない。
最近よんだ作品の中で、最も誇張でない秋声の「
縮図」にさえ、私はある種の誇張を感じている。
えらい上手そうな様子で
縮図しているのをちょっと窺いて見て、何や下手クソやないかと思ったりしたことまで覚えています。
絵物語式の大屏風になると、一曲
縮図をとるのに三年もの祇園祭を送り迎えたこともある。
縮図帖の束は風呂敷につつまれたまま一週間ほど部屋の一隅を占めていた。