「アリョーシャ」を創造したドストエフスキーは一生の
荊の道の後に於て遂に自らの魂に安息を与へ得た唯一の異例の作家であると考へたのだ。
いくら
荊を出したとて、もう貴様等ごとき痩せ旗本の天下は廻って来んぞ」
その雑書と題する詩(剣南詩稿巻五十二)に云ふ、枳籬莎径入
荊扉、中有村翁百結衣、誰識新年歓喜事、一※一犬伴東帰と。
「アリョーシャ」を創造したドストエフスキーは一生の
荊の道の後に於て遂に自らの魂に安息を与え得た唯一の異例の作家であると考えたのだ。
當時南支那に國して居つた
荊楚・句呉・於越の諸王は、自らその蠻夷たることを認めて、鋭意北方の文化を輸入することを圖つたのである。