以前、この氏の
虚無思想は、氏の無頼な遊蕩的生活となって表われ、それに伴って氏はかなり利己的でもありました。
その現々たるや、意味のごとく曖昧で、
虚気としていたのか、ぼうとなっていたのか、それともちょいと寝たのか、我ながら覚束ないが、
「根こぎにされたもの」の空
虚と哀愁とを、生々しいリアリズムの筆にのせることは、私のこの次ぎの仕事である。
明の嘉靖年間、林応竜適情録二十巻を編す、中に日本僧
虚中の伝ふる所の奕譜三百八十四図を載すといふ。
和成るや飛ぶが如くに馳せ上って、光秀の
虚を山崎宝寺天王山に衝き、光秀をして三日天下のあわれを喫せしめた。
併し父は機関車の危険を怖れ、翌十七の晩春、母危篤の
虚を構えて郷家へ呼び戻された。
謙
虚と純情と自己犠牲の観念によって、はじめて感激の火は民衆に移されるのである、これ即ち、ナロードニーキの精神であった。
博雅の君子亦「鏡花全集」を得て後、先生が日光晶徹の文、哀歓双双人生を照らして、春水欄前に
虚碧を漾はせ、春水雲外に乱青を畳める未曾有の壮観を恣にす可し。