目に見るものは、
虚飾のない自然のままの山野であり、家の中は最高に近い古美術品である。
家庭料理は、いわば本当の料理の真心であって、料理屋の料理はこれを美化し、形式化したもので
虚飾で騙しているからだ。
内心の侮辱を忍びつつ、これも、所謂『教養階級』の
虚飾的な外交辞令であった。
が、清廉を看板にし売物にする結果が貧乏をミエにする奇妙な
虚飾があった。
大倉氏の自慢料理、そんな料理は一流どころの料理屋の板場に五年もいる料理人なら大概できる料理であって、
虚飾に終始した、なんでもないものである。