何でも当時は観山さんが谷中の寺で、描いて居られた時分で、淡黄色の地に、
蜻蛉と蛍草を白で抜いた。
東西南北より、池の心さして出でたる竿は、幾百といふ数を知らず、継竿、丸竿、
蜻蛉釣りの竿其のまゝ、凧の糸付けしも少からず見えし。
とにかく、猫でも鼠でも鼬でも、
蜻蛉でも蠅でも芋虫でも、食えるうちに食って置こうじゃないかということになり、老友は二、三日後を約して帰って行った。
蜻蛉や虻であるならば鱒の腹へ入ると、すぐ死んでしまうであろうけれど、もしそれが蜂であった場合には、簡単にはすまない。
謹んで承たまわるに、帯は
蜻蛉に結んでそしてその輪の方を左に向けるのだとのこと。
ちょうど、夏川の水から生まれる黒
蜻蛉の羽のような、おののきやすい少年の心は、そのたびに新たな驚異の眸を見はらずにはいられないのである。
何うして
蜻蛉に釣られるやうでも、馬車だと然うは呼吸が續かぬ。