前にもいう通り、僕の町へ
行き着くにはこの田舎路を三里あまりもがたくって行かなければならないのだから、暑い時にはまったく難儀だ。
彼らは、そこを「蓮中の宝芯」と呼んで登攀をあせるけれど、まだ誰一人として
行き着いたものはない。
宿屋の男に案内されて、ふたりが馬車に乗つて宿に
行き着きましたのは、もう午後四時に近い頃でした。
いつでも三十分か、時によると一時間早目に
行き着くのである。
無事に砂村へ
行き着いて、一日を梅見に暮らして、ゆう七ツ(午後四時)頃に下屋敷を出て、もとの船に乗って帰る途中、ここに一場の椿事出来に及びました」
日輪寺へ
行き着いて、うしろの明神山へ登ると、きょうは珍らしく一人の参詣者も見えないで、大きな杉の森のなかに秋の蝉が啼いているばかりであった。
「間に合っても合わねえでも、折角来たもんだから、ともかくもそこまで
行き着きてえと思っているんだが、どうもむずかしそうだな」
それをはいると、やはり薄暗い狭い路があって、その路を右へ左へ廻って裏木戸の出口へ
行き着くことになるんですが、その間にいろいろの凄い仕掛けが出来ている。
話の面白い美術家と一緒で、牧場へ
行き着くまで、私は倦むことを知らなかつた。
読んで行くうちに、彼は何よりも先ず人生の半ばに
行き着いた人一人としての友人の生活のすがたに、その告白に、ひどく胸を打たれた。