犯人の男は多くの証拠を残していて自供もあったが供述に不明な点が多く、
被害者との接点もなし。
それらの
被害者と言えるのはおゆらで、彼女は銅伯が取り戻そうとするものに執着を持たないし、虹七郎が語る会津での自分の地位についても嬉しいとは思ってなさそうだ。
そしてこの小説の最高に最悪なところは、世間からしたら
被害者に見えるかもしれない花も、けっして良い人間とは呼べないところです。
被害者であるはずの吉良側にも処分が下り、今度は喧嘩両成敗の形になった。
何故、いじめられた側(
被害者)が転校したり、病いをかかえたり、時には死にまで繋がってしまうのか。
「
被害者」の立場からでも「悪い人などいない」と断言できるのか、もしできたとして、それはかつての自身の台詞と、響き(自分の中で/他者の中で)が違うのか。
複数の現場をまわり、“
被害者の”言葉から可能性が高い場所を探り出し、半澤と共に二人は現場に踏み込みます。
心の底から自分が
被害者だと思い込んでいるからこそ、罪悪感なくそんな真似が出来るのです。