すなわち、たった一語の使いわけによって、いともあざやかに区別をつけてそれですましてしまうだけ、物自体の深い機微、独特な個性的な諸表象を
見のがしてしまう。
現実に最もありうることで、奇も変もないのであるが、恐らく全ての読者がトリックを
見のがしてしまうのである。
例えば江戸川兄の「心理試験」の中には、この気持が遺憾なく描き出されてあることを
見のがしてはならない。
乗っ込みの季節になると、一雨ごとに鮒の動作は活発になるから、雨後の小さな出水の場合は、ほんとうに
見のがしはできないのである。
それからのちも山中の作品はなるべく見るように心がけてはいたが、結局三分の一あるいはもつと
見のがしているかもしれない。
おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を
見のがしがちである。