さうして僕は、自分の
見聞記を書いて、先生宛お送りしたわけであるが、そのとき折かへし頂いた先生の禮状が、前にいつた唯一の手紙なのである。
そして老婆の悪口と冷笑を一くさり
見聞すると、私は丁寧に一礼して、心愉しい人のやうに帰りはぢめるのであつた。
嚢中不足は同じ事なれど、仙台にはその人無くば已まむ在らば我が金を得べき理ある筋あり、かつはいささかにても
見聞を広くし経験を得んには陸行にしくなし。
二人とも、久しくイギリスに往つてをり、帰国してから、その
見聞を発表したのです。
父親は近所での
見聞を、断片的にものがたりながら食卓に就いたが、食事にとりかかってその種を失った。
それは、日本に伝へられる種々の物語に徴しても、また、大勢の旅行家の
見聞した事実に徴しても、疑ふ余地はないといはなければならぬ。
」——僕の
見聞する所によれば、誰でもかう言ふことを信じてゐる。
(僕の
見聞する限りでは)たとへばルナアルの「フイリツプ一家の家風」は(岸田国士氏の日本訳「葡萄畑の葡萄作り」の中にある)一見未完成かと疑はれる位である。
今般、当村内にて、切支丹宗門の宗徒共、邪法を行ひ、人目を惑はし候儀に付き、私
見聞致し候次第を、逐一公儀へ申上ぐ可き旨、御沙汰相成り候段屹度承知仕り候。
私の
見聞の範囲ではそういうばからしいことを考える人はだれもなかつたようである。