以上の
観点から、一般都市文化の危機を踏み越へるために、若干の提言を試みよう。
その二三の著作に触れた印象を以てすれば、博士は、フランス文学の精神を文化史的或は社会史的
観点に立つて捉へようとした異色ある学徒であつた。
勤労だけを特に切離して取上げる場合にはすぐ経済問題などとの関連が生れるわけですが、私どもとしては、先づ右のやうな
観点から勤労文化といふ問題を考へてをります。
この
観点に立つて、ドストイエフスキイの人と芸術とに触れることが、われわれにとつて無上の驚異であり、啓示なのである。
以上述べたやうな
観点に立つた一国の演劇史の叙説は、まだ何人によつても企てられてゐないやうに思ふ。
千田氏は、これと
観点は違ふが、劇作家の演劇運動への参加を要求し、劇作家が文学へ逃げ込んでゐるから、劇場のレパアトリイが豊富にならぬとこぼされる。
云ひ換へれば、文学上の「様式」(genre)に対して、一個の
観点をもつといふ、当然な態度なのです。
こうした
観点からも、市民の、市街の消灯は、完全に一の滑稽である。
これは演者の教養や
観点が固定しているからで、こういう最悪の欠点は学ぶ必要がないけれども、然し、之を逆に言うと、スタンダールも型だけしか書いていないのだ。
さてここで問題を別の
観点に引きおろして、あらためて見物の質としてのファンを論ずるならば、私は中途半端な、いわゆるファンはあまり感心しない。