サビエルは禅問答の要領など聞知してゐなかつたから、仏僧共の無智傲慢な
言説に唖然として、貴殿はいくつになられるかと訊ねた。
由起さんが、女房に不適格だと自任しているかどうかは知らないが、在来の家族制度とか、社会的因習に、根強い不満を示していることは、
言説に現れている。
しかし、その
言説のよって立つところは、近代の劇場の在り方ですから、一応無理もないと言えば言えるのです。
▼最近の小林秀雄君や、林房雄君達文学界一党の
言説を見ると、今ではこれらの人々の
言説は既に「無邪気ではない——」といふことを痛感させるものが多い。
しかし、どういふ社会的境遇に身をおきましても、文学によつて拓かれた人間尊重の精神は、総ての
言説行動の奥に、静かな良心として輝きを保つものだと私は信じます。
かういふ時代にこそ、どうしても国民は何か新しい文化が生れるんだといふ希望をもたなければ、いかに建設的な
言説を繰り返しても、それは空論に終ると僕は思ふ。
少くとも僕は、そんな無謀な
言説を弄した覚えはない。
従来の
言説においては私の個性の内的衝動にほとんどすべての重点をおいて物をいっていた。