それから笄山だが、これは『郡村誌』に読方が
記入してないので、音読するのか訓読するのか判然しないが、普通にはコウガイと訓読するのが間違のない所であろうと思う。
ソシテ南々西ニ向ケ、雷門吾妻橋ノ方ヘ(書信ニハ地圖ニ矢ヲ
記入シテ方向ヲ示シテアル)進ンデ行クヤウニ見エタ。
入口に受付の帳場を設え、来会者を次から次へ住所、氏名年齢、職業を
記入する。
或る時はそれを書きとどめておきたいなどと思つたこともあつて、ここに
記入する『八十吉』の話も父に関するその想出の一つである。
それが瓢形に駒岡と
記入したる銀鍍金の徽章を一樣に着け、同じ表の小旗を立てた俥に乘揃つて、瓢簟山へと進軍?したのは、なか/\のお祭り騷ぎ※