当時学校へ来たばかりの彼は重野少尉とはどう云う人か、顔さえはっきりした
記憶はなかった。
彼の
記憶に残っているものに美しい町は一つもなかった。
何でもかすかな
記憶によれば、調べ仕事に疲れていたせいか、汽車の中でもふだんのように本を読みなどはしなかったらしい。
しかも先生のうすよごれた折襟には、極めて派手な紫の襟飾が、まるで翼をひろげた蛾のように、ものものしく結ばれていたと云う、驚くべき
記憶さえ残っている。
それは僕の
記憶によれば、今日よりも下流にかゝつてゐた。
予の
記憶に溯りて、予が明子と偕にしたる幸福なる時間を列記せんか。
長崎の「日本の聖母の寺」は未だに私の
記憶に残つてゐる。
今日に至るまで、これらの幼稚なる偶像破壊者の手を免がれて、
記憶すべき日本の騎士時代を後世に伝えんとする天主閣の数は、わずかに十指を屈するのほかに出ない。
自分の
記憶に誤りがないならば、吾妻橋から新大橋までの間に、もとは五つの渡しがあった。