自分は近頃『サアニン』を読み、高村氏の
訳された『未来派婦人の婦人論』等を読んでただ面白いと云つてすましてはゐられなかつた。
訳してみると他愛のない思ひつきや、
訳さうにも訳すわけに行かぬ言葉の音の洒落やがあつて、さういふ時には少々うんざりする。
日本碁の方法は簡単に独逸語に
訳され、それを見ながら勝負を極めようとしてゐる。
今度、近代劇全集が出るについて、僕は、自分が
訳さうとは嘗て思ひ設けなかつた数々の作品を、いろいろの事情で引受けなければならなかつた。
斯ういう身体だったから、病的な人間の事にも考え及んでいたらしく、その事は内田魯庵氏の
訳された『罪と罰』の評なぞにも現われていると思う。
しかし、日本では、その名のわりあいにあまり読まれておらず、
訳されてもいないらしい。
フィツジェラルドの翻訳はいろいろの体裁で翻刻され、各国語に
訳された。
それがドイツ語にもフランス語にも
訳されて広く欧米人に、出版後半世紀ならんとする今も、かなり広く読まれるのもけだしこのためにほかならぬ。