ただ読む筈だった紀行や地誌なぞが、未だに
読み切れないのに弱っています。
朝飯兼昼飯をすませた後、僕は書斎の置き炬燵へはいり、二三種の新聞を
読みはじめた。
何でもかすかな記憶によれば、調べ仕事に疲れていたせいか、汽車の中でもふだんのように本を
読みなどはしなかったらしい。
宣教師は何ごとも忘れたように小さい横文字の本を
読みつづけている。
僕はいつか西廂記を
読み、土口気泥臭味の語に出合った時に忽ち僕の母の顔を、——痩せ細った横顔を思い出した。
「清くて
読み奉らるる時には、上は梵天帝釈より下は恒河沙の諸仏菩薩まで、悉く聴聞せらるるものでござる。
松岡と分れて、成瀬と二階の教室へ行くと、もう大ぜい学生が集つて、ノオトを
読み合せたり、むだ話をしたりしてゐた。
先生は、警抜な一章を
読み了る毎に、黄いろい布表紙の本を、膝の上へ置いて、ヴエランダに吊してある岐阜提灯の方を、漫然と一瞥する。
もちろん樗牛全集の一巻、二巻、四巻などは、
読みは読んでもむずかしくって、よく理窟がのみこめなかったのにちがいない。