「どんな人って……やっぱり本を
読むのが好きなんですよ。
ただ
読む筈だった紀行や地誌なぞが、未だに読み切れないのに弱っています。
しかし内容はともかくも、紙の黄ばんだ、活字の細かい、とうてい新聞を
読むようには読めそうもない代物である。
たね子は細い膝の上にそれ等の本を開いたまま、どう云う小説を
読む時よりも一生懸命に目次を辿って行った。
ただK君と違うのは、——僕はいつも小説などを
読むと、二人の男性を差別するために一人を肥った男にすれば、一人を瘠せた男にするのをちょっと滑稽に思っています。
まして読者はただ、古い新聞の記事を
読むように、漫然と行を追って、読み下してさえくれれば、よいのである。
無理をして余裕をつくり、いろいろ楽しい空想をして来たのにと思ふと、
読むために持つて来た本を見てさへいまいましくてならない。
云はば、中学の英語の教師が、イデイオムを探す為に、バアナアド・シヨウの脚本を
読むと、別に大した相違はない。
卿等にして若しこの遺書を
読むの後、猶卿等の故人たる予の記憶に対し、一片憐憫の情を動す事ありとせんか、そは素より予にとりて、望外の大幸なり。
あすこを
読むと、どうも樗牛は、いい気になって流せる涙を、ふんだんに持ち合わせていたような心もちがする。