三枝庄吉も亦、真ッ先に慌てふためいて蟇口をとりだす組で、然しこの組の連中ほど
貧のつらさ、お金の有難さを骨身にしみて知る者はない。
また
貧舎写興と題する詩(詩稿巻六十八)に云ふ、粲粲新霜縞瓦溝、離離寒菜入盤羞、贅童擁※掃枯葉、瞶婢挑灯縫破裘と。
かえで
貧の手業に姉妹が、年ごろ擣ちなれた紙砧を、とかくに飽きた、いやになったと、むかしに変るお前がこのごろの素振りは、どうしたことでござるかのう。
其の癖随分贅沢を致しますから段々
貧に迫りますので、御新造が心配をいたします。
もし余にして、かく解釈することにおいてはなはだしき誤解をなしおるにあらざる以上、余はこの物語において、まさに孔子の立場を奉じて富を論じ
貧を論ぜしつもりである。
所謂、
貧僧のかさね齋で、ついでに翌朝の分を記して置く。