処が、其
贈答の話は、実は他人の上にあつた、事実めいた話其儘である。
待つ宵の小侍従・ものかはの蔵人の
贈答なども、単に空想と空想との鉢合せに過ぎないのであつた。
片哥や、相聞の類の、歌垣の場に発生した唱和・
贈答の発想法は、いろ/\に分化して行つた。
だから考へると可笑しな話で、そもそも、盆暮の
贈答は、これを「贈る方」では廃止に賛成し「受ける方」では必ずしもさうでないといふわけである。
さて、そのほかに、
贈答の恋歌を咏んだ程度、或はいひわたつた程度のものはこれは幾人あつてもいいので、古義でもまた岡田正美氏もさう考へてゐる。