青年は平気な顔をして笑つてゐたのですが、翌朝老人の宿酔の頭には恰も子供を
赦すがやうな青年の笑ひ顔が世にも最も苛立たしいものに絡みついてくるのでした。
であるから一方では、「
赦す」といふことを人間の美徳とさへ考へないやうになつてゐるのである。
ヴイルドラツクには、それが出来まい、彼は、
赦す眼、与へる眼、愛する眼しか有つてゐない——奪ふ眼、捕へる眼、犯す眼を誰でも有つてゐるものだのに。
「神聖な目的」を振りかざして、自分を
赦すことのあの寛大さは、凡そ文学の精神からは遠いものであります。