久活・志久活を通じて、形容詞の語根は、多く、ほかの体言なり、用言なりから
転じたものゝ多いことは、事実である。
通称丸山軽焼と呼んでるのは初めは長崎の丸山の名物であったのが後に京都の丸山に
転じたので、軽焼もまた他の文明と同じく長崎から次第に東漸したらしい。
つまり恋愛心理の悲劇面から急にその眼を喜劇面に
転じたところに、マリヴォオの十八世紀的感覚が動いてゐる。
が、教育家志望の若杉浩三がどうして法科に
転じたかについては、二つの原因があります。
この例があるために、サブシからサビシが
転じたのであらうといふ説も可能となるわけである。
そして端なく眼を自分の方へ
転じたと思うと、洋杯を手にしたまゝ自分の方へ大股で歩いて来る、其歩武の気力ある様は以前の様子と全然違うて居た。