元和寛永のころというと、今から三百二三十年前のことだが、切支丹が
迫害されておびたゞしい殉教者があったものだ。
呉氏応援のため上京というのも名目だけのことで、ジコーサマも、
迫害がひどくて、津軽辺の仮神殿にも住めなくなったらしいという話であった。
しかし
迫害が烈しいだけに、「万事にかない給うおん主」も、その頃は一層この国の宗徒に、あらたかな御加護を加えられたらしい。
これより宗門の徒の
迫害を受けること甚だしく、幾多の殉教哀史をとどめて居ること世人の知るが如くである。
北周の武帝も佛教を
迫害したが、これは道士の張賓や衞元嵩に聽いた結果である。
倉皇として奔命し、
迫害の中に、飢えと孤独を忍び、しかも真理のとげ難き嘆きと、共存同悲の愍みの愛のために哭きつつ一生を生きるのである。
旧友諸君に献じてもいいというので、持ち帰って一読してみると、病気は
迫害狂の類で、話がすこぶるこんがらがり、筋が通らず出鱈目が多い。
彼等は社会の冷笑、悪罵、
迫害、陥穽の中に一生を過し、現在彼等の墓場は早くも忘却され、次第々々に地ならしされてゆく。