翌朝八時小汽船に駕し、黄浦をさかのぼりてシャンハイに上陸し、城内城外を一巡し、湖心亭茶園・愚園等を
遊覧す。
このときの御成も単に
遊覧のためで、隅田のながれを前にして、晩春初夏の風景を賞でるだけのことであったらしい。
それから支那人が書いた本では、大清一統志、燕都
遊覧志、長安客話、帝京——
この水泳場を利用して、温泉場の余興として、
遊覧客を吸収しようという計画がいろいろと考えられた。
断崖絶壁をめぐらした三百米突の高い立場の村落で、城の跡であり、風光明媚、四季常に
遊覧の雅人があとをたゝないと言ふ位の地方であつた。
遊覧客や病人の眼に触れ過ぎて甘ったるいポートワインのようになってしまった海ではない。