男は木村良雄といって、当時東京の某私立大学に在学中、女は荒川あさ子といって、当時二十歳の
鄙には稀に見る美人であった。
「是は武蔵の国隅田川の渡し守にて候」と云ふ宝生新氏の詞と共に、天さかる
鄙の大川の縹渺と目の前に浮び上がる所は如何にも静かに出来上がつてゐる。
其力はやわらかであった、たしかに
鄙しく無い女の手であった。
然るに吾邦の学者は夙に李園(原)を
鄙み、措て顧みざるを以て、之を記するの書、未嘗多しとせず。
蜘蛛の圍の幻は、却て
鄙下る蚊帳を凌ぎ、青簾の裡なる黒猫も、兒女が掌中のものならず、髯に蚊柱を號令して、夕立の雲を呼ばむとす。
鄙はさて都はもとより、衣輕く戀は重く、褄淺く、袖輝き風薫つて、緑の中の涼傘の影、水にうつくしき翡翠の色かな。