里村はこれを県の国警に電話して戻ってくるまで、人見に留守番をたのんだ。
飛騨・肥後・阿波其他早耳の琵琶坊も、足まめな万歳も、聴き知らぬ遠山陰の親方・子方の村が、峯谷隔てた
里村の物資に憧れ出す時が来た。
鬼石の町から坂原を越え、万場へ出て中
里村、上野村へ入れば、次第に山の景観は深邃を加え、渓の魚も濃い。
これは山
里村居つきの農夫、憐みの深いじょあん孫七は、とうにこの童女の額へ、ばぷちずものおん水を注いだ上、まりやと云う名を与えていた。
ある夏の日、笠をかぶった僧が二人、朝鮮平安南道竜岡郡桐隅
里の田舎道を歩いていた。
「この犬の名は飛べと言って、誰でも背中へ乗ってさえすれば百
里でも千
里でも、空を飛んで行くことが出来る。
当日、僕は車で、その催しがある日暮
里のある人の別荘へ行った。
三人は毎朝
里村千代という若い娘が馭者をしている乗合馬車に乗って町の会社へ出掛けて夕方帰って来るが、その間小隊長は一人留守番をしなくてはならなかった。
その外にまだ弟が二人、——次男は縁家の穀屋へ養子に行き、三男は五六
里離れた町の、大きい造り酒屋に勤めてゐた。
こんなことを考えながら半
里もある野路を飽かずにあるいた。