新村博士の
頼となれば何を措いても諾はなければなるまいと思ひ、五月の雨雲に暗い日曜日の朝の事であつた、紙を捜して図案を考へた。
崖はそもそも波というものの世を打ちはじめた昔から、がッきと鉄の楯を支いて、幾億尋とも限り知られぬ、潮の陣を防ぎ止めて、崩れかかる雪のごとく鎬を削る
頼母しさ。
さういつた関係から、双方無口であり極度の含羞やでありながら、何か黙照し合ふものがあるつもりで
頼母しく思つてゐた。
軍人あがりとかいう噂だが、なかなか逞しい面構えのパイロットで見るからに
頼母しく感じた。
この
頼母の申すことに御同意の方々は、両手を挙げて下され。
さりながら論語に唾を吐きて梅暦を六韜三略とする当世の若檀那気質は其れとは反対にて愈々
頼もしからず。
この加勢の大将は城より出で、陶方に対して高声に言うには、「毛利右馬頭元就、正
頼と一味し、当城へも加勢を入れ候。
陳者、今年三月七日、当村百姓与作後家篠と申す者、私宅へ参り、同人娘里(当年九歳)大病に付き、検脈致し呉れ候様、懇々
頼入り候。