すぐ駅の俥を雇って町中を曳かれて行くと、ほのぼの明けの靄の中から大きな山葵漬の看板や
鯛のでんぶの看板がのそっと額の上に現われて来る。
その他、鮨の材料を採ったあとの鰹の中落だの、鮑の腸だの、
鯛の白子だのを巧に調理したものが、ときどき常連にだけ突出された。
どれも小さなほど愛らしく、器もいずれ可愛いのほど風情があって、その
鯛、鰈の並んだ処は、雛壇の奥さながら、竜宮を視るおもい。
私達は二の膳につく
鯛の吸ひものを閑却して、この雜煮を幾椀も換へた。
目の下二尺の
鯛が釣れようと、三年の鱸が食いつこうと、あるいはまた間違って糸蚯蚓ほどの鮠(註に曰く、ハエをハヤというは俗称なり。
それからまた、びいどろという色硝子で
鯛や花を打ち出してあるおはじきが好きになったし、南京玉が好きになった。
又「それは高いじゃアないか、越後の今町では眼の下三尺ぐらいの
鯛が六十八文で買える」
おれは今六十五になるが、
鯛平目の料理で御馳走になった事もあるけれど、松尾の百合餅程にうまいと思った事はない。