顔色は二人共雪のように白く、おさげに
黄金の稲飾りを付けて、一人は赤の、一人は青のリボンを結んでおりました。
黄金だと思っていた自分の素質が日を経るに従って、銅や鉛であったことに気がつくと、もうおしまいだ。
あるいはまた名高い給孤独長者も祇園精舎を造るために祇陀童子の園苑を買った時には
黄金を地に布いたと言うことだけである。
唯見て、嬉しそうに膝に据えて、熟と視ながら、
黄金の冠は紫紐、玉の簪の朱の紐を結い参らす時の、あの、若い母のその時の、面影が忘れられない。
しかも往年の高平太が一躍して太政大臣の印綬を帯ぶるや、彼等は彼等を囲繞する社会に、
黄金の勢力を見、紫綬の勢力を見、王笏の勢力を見たり。
第一、あの旅行記によると、国中至る処、
黄金がみちみちてゐるやうであるが、どこを見廻しても、そんな景色はない。
あの老人の言葉通り、夕日に影を映して見て、その頭に当る所を、夜中にそつと掘つて見たら、大きな車にも余る位、
黄金が一山出て来たのです。