歌が記録せられる様になるに連れて、此即興的な反覆表現はきり棄てられて、完全に「
57
5・77」の音脚が感ぜられる様になつて来る。
5 この論は、此を出発点として、漂著神信仰の中、石神の件を考へる。
なるほど、十五年前に墨書し、その後十五年間瓶の中に水を張ったのでは、大伴の黒主の手を借らずとも、今日
5098の文字は消え失せているに違いなかろう。
東漢時代にも、關西出將、關東出相といふ諺がある(
5)。
實際頂髮式に背いた爲、又は漢服を着けた爲に、死罪に處せられた者がある(
5)。
されどこの新説は、西アジア地方に流行し、ついで中央アジアにも傳播した(
5)。