その面には玉虫のやうな光やつつましい杏仁水のやうな匂乃至一絃琴や古い日本の笛のやうな素朴な Lied のリズムが動いてゐる。
様々の悲哀や心配の絶え間のない人生の終りに来る死、それをre
liefのやうに、迎へることはできないものでしょうか。
Is sick
lied o'er with the pale cast of thought ; etc.
)、が始めて入つたのは、紀元一千八百五十四年で(四)、彼のワシリエフ(V. Vasi
lief)が實に最初の支那學教授であつた。
支那方面の文獻は、清の楊榮※の『景教碑文紀事攷正』と、ワイリ(Wy
lie)の「西安府のネストル教碑」といふ論文中に備つて居る(3)。