滝田君は昔夏目先生が「金太郎」と
あだ名した滝田君とは別人かと思うほど憔悴していた。
人間の容貌をほめる為に、ひかる・かがやくなど言う言葉を使ったので、良い意味の
あだ名の様な名づけ方なのである。
その
あだ名がほんとうの名前になって、いつまでたっても、その子はちょんきりのちょんさんでした。
だから、かれはきょうの催しがあっても、むろん最初から見物席のすみに小さくなっていて、その
あだ名のとおりしじゅう黙り屋の本性を発揮していたのでした。
稼業のほうはたしかにげたの歯入れ屋でごぜえますが、
あだ名のほうはあっしがつけたんじゃねえ、世間がかってにつけたんでごぜえますから、しかとのことは存じませぬ」
いつ頃からこの護送の役目についたのか、またいつ頃からこの「前科割り」の
あだ名を貰ったのか、それは知らない。
髭髯が雪のように白いところからその
あだ名を得たとはいうものの小さなきたならしい老人で、そのころ七十いくつとかでもすこぶる強壮なこつこつした体格であった。
右の始末に候間小生もついに『おしゃべり』の
あだ名を与えてもはや彼の勝手に任しおり候