ただ阿媽港にいた時分、葡萄牙の船の
医者に、究理の学問を教わりました。
——何?
医者に来て貰った?——それは神経衰弱に違いないさ。
咳が出る、食欲が進まない、熱が高まると言う始末である、しのは力の及ぶ限り、
医者にも見せたり、買い薬もしたり、いろいろ養生に手を尽した。
その障子の方を枕にして、寂然と横はつた芭蕉のまはりには、先、
医者の木節が、夜具の下から手を入れて、間遠い脈を守りながら、浮かない眉をひそめてゐた。
医者の見立てでは昔の癆症、今の肺病とか云ふ事だつた。
それが文禄年間になると、「きかぬものたばこの法度銭法度、玉のみこゑにげんたくの
医者」と云ふ落首が出来た程、一般に喫煙が流行するやうになつた。
産婆も、後から駈けつけてくれた
医者も、顔を見合わして吐息をつくばかりだった。
——家賃を払う家が少なくて、
医者の払いが皆目集まらないというこの町では、肺病は陰忍な戦いである。