静かに鼻にくる香りは
のどに触れる感じよりももつと新鮮に感じられる。
甲州鰍沢の街は、笛吹川と釜無川と合して富士川になる
のど口である。
坊さんは一日寂しい道を歩きつづけに歩いて、おなかはすくし、
のどは渇くし、何よりも足がくたびれきって、この先歩きたくも歩かれなくなりました。
その証拠には、雄鶏はときどき間の抜けた様子をして、
のどもさけよと叫び立てるのでした、——『結構ドコロジャアリャシナーイ※』
たとえは、くまが納屋へしのびこんで、かずの子のほしたのをはらいっぱいに食べ、
のどがかわいたので川の水をのむと、さあ大へんです。
「おのれは、正月の餠が
のどにつまって、三カ日に葬礼を出しよるわい」
われ等の祖先の作に、『雲たちわたる』とか、『打ちてしやまむ』とか、『
のどには死なじ』などの遒勁流轉の結句があるのに、君の歌のはなぜさう行かないのであらうか。
だから、せめて声のだせるうちとおもって、おいら、
のどのやぶれるほどわめき立てているんだよ。