三頭も四頭も一斉に吠え立てるのは、丁ど前途の浜際に、また
人家が七八軒、浴場、荒物屋など一廓になって居るそのあたり。
汽車、利根川の鉄橋に差し掛かれば、雨はますます激しく、ただ見る、河水は氾濫して両岸湖水のごとく、濁流滔々田畑を荒し回り、今にも押流されそうな
人家も数軒見える。
上へ上へと行げば、じねんにお寺の前へ出ます、此処はいわば門前村ですから、
人家さえ出抜ければ、すぐお寺で。
しかもその多くは床店のようなもので、それらは日が暮れると店をしまって帰るので、あとは俄かにさびしくなって、
人家の灯のかげもまばらになる。
然れども上流漸く
人家多くして、亦漸く綾瀬のごとくならんとするの虞あり。
この煖炉が、己の住んでゐるヤクツク地方の
人家の、極まつた道具で、どの家でも同じやうな、不細工な恰好をしてゐる。
それは途中にただ一軒の
人家しかない、そしてその家の燈がちょうど戸の節穴から写る戸外の風景のように見えている、大きな闇のなかであった。
両岸の
人家低く高く、山に拠り水に臨むその数数百戸。