松川彼処に
住ひてより、別に変りしこともなく、二月余も落着けるは、いと珍しきことなりと、近隣の人は噂せり。
当時H市の郊外で、三四郎の
住居の一番近くに
住っていたのは私だった。
その危険きわまる電線が生命の唯一の安全地帯である
住家の中まで、蜘蛛の巣のように縦横無尽にひっぱりまわされてある。
が、少からず愛惜の念を生じたのは、おなじ麹町だが、土手三番町に
住った頃であった。
当時有名な煙管商、
住吉屋七兵衛の手に成った、金無垢地に、剣梅鉢の紋ぢらしと云う、数寄を凝らした煙管である。
芭蕉の
住した無常観は芭蕉崇拝者の信ずるやうに弱々しい感傷主義を含んだものではない。
そのうちに彼等はもう一度田舎
住ひをすることになつた。