文学そのものが
人間的なものなのだから、根はさうあるべきもので、文人墨客といふ言葉は近代文学の文人には有り得ず、世俗の人々よりもむしろ根は世俗的現実的なものだ。
彼は政治の神様と言はれてゐるが、文学の神様よりはよほど
人間的であり、いはば文学的であつたのである。
然し、志賀直哉の
人間的な貧しさや汚らしさは、「如是我聞」に描かれた通りのものと思えば、先ず、間違いではなかろう。
彼は自分の
人間的弱点に道徳的に、又は責任感や義務感などから、抵抗する。
が、江口の
人間的興味の後には、屡如何にしても健全とは呼び得ない異常性が富んでいる。
そして武士道は人性や本能に対する禁止条項である為に非
人間的反人性的なものであるが、その人性や本能に対する洞察の結果である点に於ては全く
人間的なものである。
そこに
人間的努力を意義づける生活の価値があるのだ。
彼は今でも籐椅子により、一本の葉巻を楽しみながら、彼の青年時代を思ひ出してゐる、
人間的に、恐らくは余りに
人間的に。
けれども若し非
人間的とすれば、僕は一面には非
人間的である。