錦花氏のいわれた通り、亀山の
仇討は元禄曾我と唄われながらもその割に栄えないのは、石井兄弟のために少しく気の毒でもある。
○七月、守田座にて「亀山の
仇討」を開演中、石井兵助を勤むる嵐璃鶴が召捕られて、後に懲役三カ年を申渡さる。
凡そ
仇討にふさわしくない自分達であることを、恐らく多くの日本人が痛感しているに相違ない。
が、一旦、
仇討を志した者が、敵を討たないで、おめおめと帰れるわけはなかった。
通し狂言の「浮木亀山」は、いうまでもなく石井兄弟の
仇討で、紋作は石井兵助をつかい、冠蔵はかたきの赤堀水右衛門を使っていた。