彼の自殺すら、自らは気附かざる「自己の文学」に「復帰」した
使徒の行為であつたのだらう。
イエスと十二人の
使徒の上に、春の夜が深く垂れ下っていた。
戦争未亡人を挑発堕落させてはいけないという軍人政治家の魂胆で彼女達に
使徒の余生を送らせようと欲していたのであろう。
しかし、注意しなければならないことは、この文学の
使徒の如く見えるコポオが、作品をマスタアする力量に於て、近代劇場人の何人よりも優つてゐると思はれることだ。
人類の真の平和が、強権下には、決して、見られないであろうごとく、主義に囚えられたる芸術に、いつの日か、吾人は、人生に対する自由の
使徒たることを信じ得よう。
彼は卑しき者より
使徒を撰み挙げたまひしのみか、常に卑賤ものをあはれみたまひし跡、蔽ふ可からず。
祭日に
使徒行伝でも読ませようものなら、今どきのそんじよそこいらの祭司の息子などは裸足で逃げ出してしまふくらゐ。
で、現今でもT×××寺院には彼の筆になる福音書の
使徒ルカの像が残つてゐる。