かの切支丹
宗徒に対する特殊の拷問や刑罰は別問題として、普通の罪人に対しては右の四種のほかにその例を聞かない。
それは、いうまでもなく島原の切支丹
宗徒の蜂起である。
弥兵衛は元和八年の秋、十一人の
宗徒と火炙りになった。
大矢野島と島原との間に湯島と云う小島があるが、
宗徒等は此処に秘密のアジトを置き、天草島原の両地方の人々が来り会して、策謀を凝した。
中には、その種本にした、切利支丹
宗徒の手になつた、ほんものの原文を蔵してゐると感違ひをし、五百円の手附金を送つて、買入れ方を申込んだ人があつた。
今般、当村内にて、切支丹宗門の
宗徒共、邪法を行ひ、人目を惑はし候儀に付き、私見聞致し候次第を、逐一公儀へ申上ぐ可き旨、御沙汰相成り候段屹度承知仕り候。