私先祖摂津国池田より相州鎌倉へ罷下、相勤
候処、長吏以下之者依為強勢、私先祖に支配被為仰付云云。
猶此危難も御同意之御事ニ御座
候処、諸君ハ日数ハ少しおくれながらも上々の御用相達し申
候。
秋気次第に相増
候処、愈々御機嫌能可被成御座、目出度千万存奉
候。
一、上ニ申伏見之難ハ去ル正月廿三日夜八ツ時半頃なりしが、一人の連れ三吉慎蔵と咄して風呂より揚り、最早寝んと致し
候処に、ふしぎなる哉此時二階居申
候。
然ハ先夜御別後、広く世界之数例を推し
候処、御船を以再度衝突被成
候ニ依而致沈没
候事故、何分貴方より其条理御立被下
候事、必然之道理ト相聞へ申
候。
此度英船の参ル故ハ、長崎ニて英の軍艦水夫両人酔て居
候処を、たれやら殺し
候よし、夫を幕吏ニ土佐国の人が殺
候と申立
候よし。
只今戦争相すみ
候処、然るに岩弥、佐栄兼て御案内の通りに、兵機も無之
候へば無余儀敗走に及び
候。
「平四郎たちまち追い至り、『老爺、老爺、小僧はどちへ行ったぞ』と尋ねけるに、伝三もとよりしたたかものなりければ、『あの道を走り行き
候』とぞ欺きける。
「大名は九十五ヵ所右の内三四度も忍び入
候処も有之由」それで結局「〆八十軒程は荒増覚居
候由、此事限り無御座
候此金高三千二百両程。
お隣屋敷浮田中納言様へお移り遊ばされ
候はば、第一に世間の名聞もよろしく、第二にわたくしどもの命も無事にて、この上の妙案は有之まじく
候。