昨年この町にゴルフクラブができ、私もすすめられて
入会した。
そのときボクもすすめられて
入会したのだが、専用の練習場ができてのちもボクだけはひきつづき書上邸内の練習場へプロを招いて毎週一度ずつレッスンをうけた。
この倶楽部に多分大正十年頃だったと思うが、科学技術者が大挙して
入会することとなり、私は準備委員といったわけで、丸の内の同倶楽部へ時々顔を出したことがある。
或晩、それは欧洲の気候の内、一番よい五月の末頃、アグネスの
入会して居る欧洲ハイキング・クラブの会員である巴里のイボギンヌから誘い状が届いた。
幸徳もその会員の一人で、僕にも
入会を勧めたが、僕は「研究会」といふやうなものは嫌ひだというて、拒絶したことを覚えて居る。