棺を蓋うて定まる批評は燦爛たる
勲章よりもヨリ以上に沼南の一生の政治的功績を顕揚するに足るものがあった。
文化の装飾的意義が存在する期間においては、
勲章も、またやむを得ぬ一個の「ビブロ」である。
しかも、作家生活十年以上に及んで、相当文名があがる頃になると、もう
勲章をもつてゐないことが一向目立たなくなるのだからよくできたものである。
「仏蘭西と
勲章」はこの通り豊富な話題を作つてゐるが、日本の文功章も、せめて、それぐらゐの役に立てば拾ひものであらう。
今日、仏蘭西の俳優は、
勲章も貰へば、——珍しくもなからうが(なかなかどうして)——元老院議員の晩餐会にも招かれる。
看護婦その者にして、胸に
勲章帯びたるも見受けたるが、あるやんごとなきあたりより特に下したまえるもありぞと思わる。