箕輪から京間で四百間の土手を
南へのぼれば、江戸じゅうの人を吸い込む吉原の大門が口をあいている。
大宝寺町の大工庄蔵の弟子で六三郎という今年十九の若者が、
南の新屋敷福島屋の遊女お園と、三月十九日の夜に西横堀で心中を遂げたのである。
女中が部屋の
南の障子をあけて、私に気色を説明して呉れた。
そう云えば確か講釈師に
南窓と云うのがあったなどと思った。
清八は取り敢ず御鷹匠小頭より、人を把るよしを言上しけるに、そは面白からん、明日
南の馬場へ赴き、茶坊主大場重玄を把らせて見よと御沙汰あり。
扨、私申し条も相立ち候へば、即刻下男に薬籠を担はせ、大雨の中を、篠同道にて、同人宅へ参り候所、至極手狭なる部屋に、里独り、
南を枕にして打臥し居り候。
南は山影暗く倒に映り北と東の平野は月光蒼茫として何れか陸、何れか水のけじめさへつかず、小舟は西の方を指して進むのである。
南は山影暗くさかしまに映り、北と東の平野は月光蒼茫としていずれか陸、いずれか水のけじめさえつかず、小舟は西のほうをさして進むのである。