先年東京に××
博覧会が開かれた時、其の一館に有名なるM真珠店が数十万円と銘打って、一基の真珠塔を出陳して世人を驚かした事は、尚諸君の記憶に新なる所であろう。
津村は例の脅迫状や、
博覧会場での奇怪な出来事を、村井の所為じゃないかとさえ疑った事があるのだ。
私が初めて東京へ行きましたのは、三十二か三の時分で、平和
博覧会に、鏑木清方さんが〈嫁ぐ日〉を描かれたのを拝見する為に上京したのが初めてでございます。
だがそれを褒める倫敦人に彼等の意味を殖民地
博覧会の門冠彫刻以上に汲取らし得るかは疑問だ。
栖鳳先生が西洋から帰へられて二、三年後大阪で
博覧会が開かれた。
店構えはとみれば、まるで田舎の
博覧会みたいに飾りたて、部屋にはいかがわしい複製の錦絵などを貼りめぐらしてある。
大阪に尾形華圃という閨秀画家がいて、私より三つほど年上でしたが、その人と連なって東京
博覧会の時にはじめて東京見物に行ったのでした。
東京から跡見玉枝さんなどがこの
博覧会に出品されたように覚えている。
姉夫婦は義兄の知合いの家へ一晩泊って、
博覧会を見物して帰るつもりで私たちより一足さきに出かけた。