聖書を隅から隅にまですがりついて凡ての誘惑に対する唯一の武器とも鞭撻とも頼んだその頃を思いやると立脚の
危さに肉が戦きます。
尋常ならぬ新婦の気色を
危みたる介添の、何かは知らずおどおどしながら、
ところが、この官選弁護士ってのが、そう云っちゃアなんですが、ひどく事務的でしてね、どうも、洗濯屋の立場が
危っかしくなって来たんです。
それが
危ぶないので大事になる因だと、かめよもその時は気が立ってゐたのでづけづけとしたことを云った。
つまり、さういふ
危かしさを持たない、手堅い作品ならば、一番無難であるとは確かに云へると思ふ。
老人のなまじひに壮者を学ぶを
危めるは東の諺、鉄釘至剛なるも至軟の物を如何ともする能はざるを歎ぜるは西の語。
信長の出発に際して之を
危んだ旗下の諸将多く、家康も必勝を期せず、子信康を岡崎に還らしめんとした位である。
それがだんだんと先に行くに従って道と道とは相失うほどの間隔となり、分岐点に立って見渡すとも、交叉点のありやなしやが
危まれる遠さとなる。
かう言ふ、批評の
危がつて、人生の破壞だと憤つた其文學は、後に見ると、實は何でもないこととして、現實のことに、平靜な姿でおちついてしまつてゐる。
この認識が是正せられないかぎり日本は
危しといわねばならぬ。