後日一本にまとめる際、
同種の物を集めて「童話集」と名付ける考へであるが、かういへばあの作品の意味もやや明らかであらうと思ふ。
高級を気負いすぎて独善的な批評精神は、コットウの曲線をがん味する一人よがりのワカラズ屋と
同種のぜい弱さを骨子にしているものである。
殊に、我々の国の周囲民族・種族に於いて、我々と
同種の裔族であつて、文献時代前に岐れたものを検断して見ると、其が訣る。
必しも万葉に偏寄つて、
同種の例を求めねばならぬと言ふ理由もないが、語に、円満な理会の得易い、親しみがあるから、之を採る訣である。
私は、くゞつ・傀儡子
同種説は、信ずる事が出来ないで居るが、くゞつの名に宛て字せられた、傀儡子の生活と、何処までも、不思議に合うて居るのは、事実である。