然まで大きくもない寺で、
和尚と婆さんと二人で住む。
桃水
和尚は凡夫に如同する事に於て可成り垢抜けしたところまで行つたがそれでも臨終に鷹峯風清月白とか何とかいふ遺偈を遺し片鱗を露してる。
和尚様においでを願ったのも、有難い回向をいただいて成仏したいからにほかならぬ、と物語る。
最後に直之は武芸のほかにも大竜
和尚の会下に参じて一字不立の道を修めていた。
「それがややしばらく続いた後、
和尚は朱骨の中啓を挙げて、女の言葉を遮りながら、まずこの子を捨てた訳を話して聞かすように促しました。
あっしゃ無筆だから、先生も師匠も
和尚もねえが、だんなはそうはいかねえ、物がお違いあそばすんだからね。
愚助は
和尚様に打たれるとばかり思つてゐましたのに、打たれなかつたばかりか、さも可笑しさうに笑はれたので、自分も何だか可笑しくなりました。
慈鎭
和尚の歌に、「まだ晴れぬ水まさ雲にもる月を空しく雨の夜はやおもはん」といへるがあり。