設計しすぎた人生のために同時代の友人を失ひ、
多感な青年ばかりが彼の親友になつた。
野良猫のやうに飯を食ひ、なまじひに人間なみの過分に
多感な飯の食ひ方をしないだけでも幸せだ。
それは、純一無垢、
多感極まりない少年にのみ許された唯一の至高な場合であつて、あの頃、菱山はその至高な少年であつた。
もう四十に手のとどく澄江は、熟練した女の感覚で玄二郎の孤独な外貌から内に蔵された寧ろ
多感な心情を見抜いたことは想像することができる。
のみならず、又宇野浩二は喜劇的精神を発揮しないにもしろ、あらゆる
多感と聡明とを二つとも兼ね具えた人のように滅多にムキにはならない人である。
しかし、六尺豊な体躯を持っている赫顔白髪の老翁の太古の風貌を帯べる考えと多情
多感な詩人肌の彼の考えと到底一致する筈がない。
恋のほかには余分の思案というものもない平安京の
多感な郎子であったけれども、佳人のもとへ通う夜道の危なさには、粋一念の心掛けも、見栄の魔力も、及ばなかった。
阪中正夫君は、詩集『六月は羽搏く』の著者であり、紀の川のほとりに生れた純情
多感な自然児である。
しかし、再び年少の頃の私は、そのやうな故事来歴は与り知らず、ただ口繩坂の中腹に夕陽丘女学校があることに、年少
多感の胸をひそかに燃やしてゐたのである。