処はジル湖の
大部を占める、榛の林に掩はれた、平な島の岸である、其傍には顔の赭い十七歳の少年が、蠅を追つて静な水の面をかすめる燕の群を見守りながら坐つてゐる。
が、原本はなかなか
大部のものであるから、爰には単に要所丈を紹介するに止める。
その点に意を用ひた作家の
大部は、勢ひ、現在の俳優を標準としての舞台的工夫を凝らさなければならない。
何れにせよ、聴取者の
大部を「退屈させない」なにものかを有し、その上、彼等の(即ちわれわれの)健康な魂に呼びかける若干の文化的意義を要求したい。
或は仮にその劇団が、日本新劇を代表する立派な劇団たり得たとしても、そのためには、殊更新劇関係者と称するものの
大部を、置去りにしなければならないのである。
それは、凡そ今日、演劇殊に新劇方面で仕事をしつゝある人々の
大部は、何等かの意味で、同氏と親しい交渉をもつて居るからです。
ところが、これは三四年前に拵えた地図で、毎年一度ずつ訂正を加えているのですが、現在では又この地図とは
大部違って来ているのであります。
當時謂ふ所の中國若くば中夏とは、今の河南・山東の
大部、直隷・山西の南部、陝西の一部に過ぎぬ。
が、中でもいちばん
大部だったのは、樗牛全集の五冊だった。