後で聞くと
宗門名誉の説教師で、六明寺の宗朝といふ大和尚であつたさうな。
「剰至童女之輩喜死蒙斬罪是非平生人心之所致所以浸々彼
宗門也」と。
宗祖には他に弟子も無いのだからダルケの
宗門は断絶し、今はこの寺だけが遺身にのこっているわけである。
蓮如上人 浄土真宗の開祖親鸞聖人より八代目の法主にして、
宗門中興の偉僧。
後で聞くと
宗門名誉の説教師で、六明寺の宗朝という大和尚であったそうな。
勿論骨董としてあったのではなく、一家の繁栄を祈るべき
宗門神としてあったのですが。
われ、その時、
宗門の戒法を説き、かつ厳に警めけるは、「その声こそ、一定悪魔の所為とは覚えたれ。
右、はるれやと申し候は、切支丹
宗門の念仏にて、
宗門仏に讃頌を捧ぐる儀に御座候由、篠、其節枕辺にて、泣く泣く申し聞かし候。
かう云ふと、切支丹
宗門の信者は、彼等のパアテルを誣ひるものとして、自分を咎めようとするかも知れない。